ホツマツタヱは古事記の原典とも言われていて、古事記と読み比べると面白いなあと思うところがいくつもあります。
次回の「はじホツ」勉強会で読んでいくことになる7アヤ(「アヤ」は「章」みたいなもんです)は、古事記で有名な「天岩戸開き」のシーンが描かれています。
古事記では、
泣いてばかりで働こうとしないスサノオを父イザナギが怒って追放→別れの挨拶をしに姉アマテラスのいる高天原を訪れる→侵略しに来たと思ってアマテラスは武装で迎える→無実を潔白するために誓約(5男3女が誕生)→身の潔白を晴らしたスサノオが乱暴狼藉を働く→怒ったアマテラスが岩戸に隠れてしまい世界は闇に包まれる→アマテラスを引き出すために岩戸の前で大宴会→アマテラスが岩戸を開いたすきに引きずり出す
みたいな内容です。
これが「ホツマツタヱ」ではどう描かれているか・・・。面白いです。そもそもホツマではアマテラスは男ですから、古事記と同じストーリーになるはずないんですが、なぜ古事記のようなストーリーができあがったのか、というのがよ~くわかって、なるほど~~となるわけです。
詳しくは「はじめてのホツマツタヱ」を読んでもらうとして、ここでは、スサノオが乱暴狼藉を働いたときに命を落とした女性のことについて少しだけ。
アマテラスと一緒に機織りをしていたその女性は、スサノオが天井から皮を剥いだ馬を投げ込み、それに驚いて機織り機の木材で陰上(ほと)をついて死んでしまします。古事記ではこの女性の名前は書かれていませんが、日本書紀では「一書(あるふみ)に曰く」として、その女性の名前を「稚日女尊」(わかひるめのみこと)としています。
神社の伝承などで、この稚日女尊はアマテラスの妹だとされているところがあり、そんなことは古事記にも日本書紀にも書いてないのになあと思っていたら、ホツマツタヱではこの女性は「ハナコ」といい、一緒に機織りをしていた瀬織津姫(アマテラスの奥さん)の妹となっているわけです。
一緒に機織りをしていたのを古事記ではアマテラスにしちゃったので、姉妹という関係だけ残ってしまって、アマテラスの妹が「稚日女尊」だという伝承が残ってしまったんだなあと、なんか納得した次第です。
この推測があってるかどうかわかりませんが、いろいろ考えると面白いです。
スサノオが高天原に行ったときに武装して対峙したのはアマテラスということになっていますが、このあたりもホツマツタヱでは違ってます。
その辺も、おもしろいです。
今村先生の解説を聞いてみたいところです。
ということで、次回の「今村先生を囲んでホツマツタヱを楽しむ夕べ 其の十一」は7月27日(金)18時から四谷のルノアールにて開催。
翌週の8月3日(金)はスピンオフ企画として、みんなで東京国立博物館の縄文展を見に行きます。
参加ご希望の方はご連絡ください。
iwasaki0408@gmail.com
です。